ハワイの人々のルーツがタヒチやマルケサスのポリネシア人であり、そのポリネシア人のルーツが東南アジアのほうにあることから、
ペトログリフもまた東南アジア起源で伝播してきたのではないかと考える説があります。
しかしながら、太平洋地域全体でペトログリフの分布を見ると、ハワイとニュージーランドを結ぶ線の東側には
ペトログリフが大変豊富であるにも関わらず、西側では全くといっていいほど見られません。このことは、
ハワイのペトログリフが土着固有のものでない限り、南東あるいは東のほうから伝わったということを示唆しています。
(ポリネシア南東端のイースター島にはロンゴロンゴという絵文字もありますね)
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Thomas.G.Thrumは、1915年に発表した論文の中で、オアフ島のペトログリフとアメリカインディアンの
ペトログリフを比較し、「これは単に似ている、というレベルではなく、同じアーティストの作品だ」
とまで言い切っています。さらには、ワイメアの近くに漂着した女酋長の伝説と関連づけて、そこに
インディアンの子孫が定住したのではないか、と推測しています。
もちろん、どこか第3の場所があって、ハワイにも、アメリカ大陸にもその場所から同じように
伝播した、とも考えられますが、なかなか興味深い説ではあります。
ハワイは太平洋の孤島であるとよく言われますが、太平洋をはさんだ往来があったのではないか、と想像できる伝説がいくつかあります。
1)紀元前3000年、日本の縄文文化が太平洋を超えて南米に伝わった痕跡があるそうです。
2)中国の梁書に、「扶桑在大漢國東二萬餘里。地在中國之東、其土多扶桑木。故以爲名。」
と紹介される扶桑の国、これはアメリカ大陸ではないかという説は根強いようです。
3)サモアから渡来した高僧パアオの息子、オピリの時代に、ハワイ島の南西に白人の集団が漂着
したという言い伝えがあります。時の王に、彼らと取引するよう依頼されたオピリは、
彼らにまず十分な食料をまず与え、恩を売った上で、しかも「彼らの言葉で」取引をしたと伝えられています。
4)ハワイ島コナに「Kulou」という場所がありますが、これは、「おじぎする頭」とでもいう意味で、
白い肌の兄弟がこの地に漂着し、長い間絶望でうつむいていたという言い伝えによるものです。
5)アホウカプという王の時代、7人の異人が漂着。彼らの船にはマストもアウトリガーもなく
船尾には天蓋がしつらえられていたそうです。彼らはそのまま現地の女性と結婚し子孫を設けましたが、
のちにクックが来航した際、彼らから伝えられていた剣が披露されたそうです。
・・・などなど、ハワイに、異国からの人々が漂着していた可能性は極めて高いものがあります。そういう背景で、
ペトログリフも、漂着した人々や、往来する船乗りたちが故郷を懐かしみ、あるいは来航の記念に残して
いったのではないか、と考えられなくもないのですが、、、
不思議なことに、来航のサインそのものを示すようなペトログリフは1つも無いのです。
また、ペトログリフが残されている場所は、多くは海岸からかなりはなれたところの熔岩原で、灼熱の
日差しを防ぐものが何もなく、旅人が記念に彫り込むにしてはあまりに無理があるのではないかと考えられます。
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伝説によれば、12世紀頃、高僧パアオがサモアのウポル(タヒチという説もあり)から渡来し、当時の暴君カマイオレを
倒して宗教国家を建設した、と言われています。
このときに、パアオはさまざまな技術をハワイに持ち込んだのですが、そのときに、ペトログリフも同時に導入された、
という言い伝えもあります。また、カマイオレが埋葬されたというアナエホオマル、という場所には、膨大な数の
ペトログリフが見られることで有名なところです。
また、そこからわずか数マイル離れたプアコという場所はは、女神ペレが、パアオよりも数世代前に、赤毛の一族と
共に移住してきた場所と言われていますが、ペレ一族がペトログリフを伝えたという伝説もあります。
※画像出典:「Petroglyphs of Hawaii」より。フランス:Trocadero博物館収蔵の、ハワイ工芸品と、
ハワイ島プアコ地方のペトログリフ。