ハワイの神話と伝説~ペトログリフの作られた時期

ハワイのペトログリフ研究の草分けとしては、1889年に「Kauai's pictured ledge」を発表したJ.K.Farleyが有名です。 彼は1848年、カウアイ島のペトログリフを調査した際に、 土地の人へのインタビューなども行いましたが、「自分の父も祖父も、子供の頃からペトログリフは存在していた。 誰が作ったのかは聞いたことがない。」という回答でした。

ハワイの古い建造物、石垣や池や道路などは、しばしば小人メネフネの仕業(リンク)と伝えられます。 しかし不思議なことに、ペトログリフに限っては、メネフネが作った、と伝えられるものは1つも無いのです。

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ハワイ大学のDr.Kenneth Emory(この人の弟子に、ドクター・シノトの名前で太平洋全域で知られる、 ビショップ博物館の篠遠博士がいますね)は、ペトログリフの編年に関して次のような仮説を立てました。

1)同じモチーフ(例えば人のかたち)を描いている場合、
  古いものほどシンプルで、新しいものほど凝ったデザインになる。
2)多くのペトログリフが描かれている場所では、中心に描かれたものほど
  歴史が古く、周縁部に描かれたものが一番新しい。
3)複数のペトログリフが重なり合っている場合、最も痕跡が鮮明なものが一番新しい。

これらを相互に検証した結果、ハワイのペトログリフは、その大半が「古い」グループに属するもので、「新しく」なれば なるほどその数は減ってくることがわかりました。
ペトログリフの伝統、というのは、だんだんと廃れてきつつあった、と考えられるわけです。


人のデザインと犬のデザイン。それぞれ左ほど古い。

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1906年、John Stokesのハワイ島カハルル地方の調査で、直接的に起源が同定 できたペトログリフがあります。当時86才の、マラヌイという名の老人、彼はカプアノニ・ヘイアウの僧侶の孫にあたるそうですが、 昔のマウイ王Kamalalawaluを描いたペトログリフを教えてくれたのです。

16世紀頃、マウイ島にカマララワルという強大な王がおり、常々ハワイ島への侵攻を考えていました。当時ハワイ島の王であった ロノイカマカヒキは、カマララワルがハワイに攻めこんで来たとき、変装した部下を敵陣に送り込み、巧みに、ハワイ側があらかじめ 布陣している場所へ攻め入るよう誘導させ、殲滅した、という伝説があります。マウイ王カマララワルは捕らえられてカハルルの ケエク・ヘイアウで処刑されましたが、このペトログリフはその際の戦勝記念として描かれたのだということです。

世界的に見ると、ここ2000年で平均して100年ごとに7.5センチずつ海面が上昇しているらしいですが、火山活動が活発な ハワイ島では、堆積する熔岩とのアイソスタシーによって、100年あたり30センチも海面が上昇(というか地盤が沈下)している そうです。
この事実をもとに、海岸沿いにあるペトログリフは、古さが推定できるのですが、これによれば、カハルル地方のペトログリフは 少なくとも1570年以前に彫られたもの、ということになるそうです。

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1990年代に入り、ペトログリフを彫った際に用いられた石紛の放射性同位元素の測定で正確な年代同定ができる可能性が 出てきました。今後、研究が進むことによって、伝説の中に埋もれているハワイの古代史がくっきりと裏付けられる日が来る のかもしれません。

※画像出典:「Petroglyphs of Hawaii」より

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