ハワイの神話と伝説~ハワイ王朝~カアフマヌ時代

1819年、さしものカメハメハも老衰で世を去ります。王位は、正妻ケオプオラニとの 間にできた息子リホリホに継承することになるのですが、カメハメハは息子に自分ほどの カリスマ性は無いことを見抜いていました。そこで、新しく「クヒナヌイ(摂政)」とい う役職を設けて、王を補佐させることとし、初代のクヒナヌイには、愛妻カアフマヌを指 名しておいたのです。

カアフマヌは、身長180cm以上もあったといわれ、若いときには素晴らしい美人だっ たともいわれています。ちなみに、カメハメハやカアフマヌに限らず、ハワイの高貴な血 筋の人々はだいたい身長が高く、体格も良かったようで、平民と王族の差は、見ただけで 区別がついたといいます。

カアフマヌの最初の課題は、いかにして弱冠22歳のリホリホに権威を持たせるか、とい うことでした。当時、ハワイでは、カメハメハ大王自身がクー・カイリモクを強く信仰し ていたこともあり、古来の宗教にたずさわる神官(カフナ)たちが絶大な権力を持ってい ました。彼らの力を弱め、相対的に王家の地位を高めるため、カアフマヌは、なんと古来 の宗教を全面的に禁止、それに伴いハワイの人々全てを支配していたカプの廃止を宣言し たのです。

カアフマヌみずから、禁止されていたバナナや焼豚を食べ、リホリホは男女同席して食事 をし、何も天罰が起きないことを示しました。ハワイ各地でヘイアウが破壊され、カフナ たちは職を失いました。

その翌年、1820年に、絶妙のタイミングでアメリカ海外伝道評議会から最初の宣教師 がハワイに到着しました。宣教師たちはキリスト教の布教のために、ハワイの「野蛮な風 習」を次々に否定しますが、これはカアフマヌの施策と方向がぴたりと一致するものだっ たのです。この年を境にハワイでは、公式には、ニューイングランドのプロテスタンティ ズムが古来のカプに代わることとなったのです。

1823年、リホリホは王妃カママルと共にイギリスを訪問しますが、ロンドンで2人と も麻疹にかかり、それがもとで2人とも落命してしまいます。リホリホについで即位した のは弟カウイケアオウリ。1825年の即位の時点ではまだ10歳の少年でした。ハワイ 王室の中でカアフマヌは女王も同然であり、1832年に亡くなるまでカアフマヌ時代が 続くのです。

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