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| ラハイナルナの校章 |
マウイ島の西側、ラハイナの町の近くをドライブすると、
山の中腹に大きな「L」の字か見えるのをご存知のかたも多いと思います。(京都の大文字のようなかんじです)。
このLの字のあたりが、かつてラハイナルナ神学校があった場所で、現在でも州立ラハイナルナ高校が
その場所で伝統を引き継いでいます。
ラハイナルナの創立は1831年、キリスト教の布教のために、当時の宣教師達が神学校として開校した
のが最初です。当時、ロッキー山脈より西での最初の学校創設でもあり、寄宿学校でもあったことから、
ラハイナルナには遠くサンフランシスコから留学してきた生徒もいたということです。
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| Hale P'ai と呼ばれた印刷所 写真は1980年代に復元された施設 |
また、この学校には貴重な印刷設備も備えられ、
1834年にはハワイ初のハワイ語新聞「Ka lama Hawaii」(ハワイの光)がこの地で印刷されました。
これまた、ロッキー山脈より西ではじめての新聞だったそうです。
1836年、Sheldon Dibble牧師がラハイナルナに着任しました。彼は宣教のかたわら、
ハワイ固有の神話や歴史の素晴らしさに気がつき、ハワイ・ネイティブの生徒達を巻き込んで、
精力的に収集と記録を始めたのです。
生徒達の中で特に活躍したのが、ここでご紹介するDavid Malo、Samuel Kamakau、Haleoleの3人です。
彼らの成果は1838年、Lahainaluna Pressにて「Ka Moolelo Hawaii」(ハワイの物語集)として
出版されています。(ハワイ語です)
■ David Malo
1831年ラハイナルナ入学の一期生です。入学したときにはすでに38歳、先生のDibble(1809年生)よりもだいぶ年上でした。
彼は家柄も良く、後にハワイ人最初の学者として尊敬を集めました。現在でもラハイナルナ高校では毎年4月24日を「David
Malo Day」という記念日にしており、ハワイが生んだ偉大な学者デビッド・マロをルアウとフラで賞賛するイベントになっています。
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| David Malo(1793-1853) | 1951年版の再版 |
彼はDibbleのMoolelo Hawaiiの編纂に多大な貢献もしましたが、1840年、彼自身の手による「Moolelo
Hawaii」をまとめあげました。この本はのちにN.B.Emersonによって「Hawaiian
Antiquities」というタイトルで英訳され、広く読まれることとなりました。
金釘調で一文ごとにナンバリングしており、読みにくいこと夥しい本ですが、古代のハワイの人々の
暮らしが集大成として読める貴重な本になっています。ただし、全体の5分の4は神話伝説ではなく、
伝統や慣習など、民俗学の本のようです。神話伝説は最後の40ページほどですが、敬虔なクリスチャンで
あったMaloは、いわゆるおとぎ話のような話を収録するのを良しとせず、Kumulipo神話からの引用なども
あるものの、大半は古代の英雄たちの伝説です。
■ Samuel Manaiakalani Kamakau
1833年、18歳でラハイナルナに入学しました。彼もまたDibbleの良きパートナーとして働きましたが、
彼自身が著作を発表するのはなんと30年もたった1865年になってからでした。この年から1871年にかけて、ハワイの新聞「Na
Nupepa Kuaoka」紙、つづいて「Ke Au Okoa」紙に次々とハワイの歴史や伝統、神話や伝説を記事として発表していったのです。
これらもまた全てハワイ語表記であり、当時すぐには英訳されませんでしたが、のち、Mary
Kawena Pukuiの翻訳などによって素晴らしい著作として出版されていきました。
まずは1961年の「Ruling Chiefs of Hawaii」。これはカメハメハ一世よりも8代前の王、
Umiの時代から、カメハメハ3世の時代まで歴代のハワイの王達の事跡を通じた歴史書です。
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| Ruling Chiefs | S.M.Kamakau(1815-1876) | Ka Poe kahiko |
そして、「Ka Po'e Kahiko」(People of old)3部作。1964年、76年、91年と順を追って出版されました。
はじめの2つは民俗学者による淡々とした記録、といった趣ですが91年の「Tales and traditions of thepeople of Kahiko」は、
「架空の国からハワイにやってきた旅行者の仮想旅行記」という体裁でハワイの伝説を紹介しているという、
ちょっと遊び心の入った本です。
いずれにせよ、Kamakauの歴史学者としての業績は素晴らしいものであり、1994年、ハワイ州立図書館において、
それまで「Hawaii & Pacific Section」として運営されていた部署が、彼の名を冠して
「Samuel Manaiakalani Kamakau room」という
名前に改められました。
現在でもこの部屋にはKamakauはじめ、ここでご紹介しているMalo、Ii、Kepelino、Haleoleがハワイの誇る偉大な
歴史学者として顕彰されています。
■ Haleole
1819年生まれで34年にラハイナルナ入学
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| Laieikawaiが収録されている民族学会誌 280ページに及ぶ長さです。 |
、3人の中では最年少のHaleoleは、「Hawaiian Romance of Laieikawai」の著者として知られています。
もともと1860年代初期にKuokoa紙に発表されていったものですが、1863年には著作として出版され、
1885年に再版、そして1917年、Martha
Warren Beckwithによって英訳されるにいたって、一躍彼の名が高められました。
内容は、古代から綿々と口承で伝えられてきたハワイの高貴な女性の恋の物語で、日本での源氏物語に
匹敵するものといって差し支えないものと思います。全34章にも及ぶ大作で、冗長さはあるものの、
これほどの規模の話が口承で伝えられてきていたというのも驚きです。
■ John Papa Ii
1800年生まれのIiは、上記の3人とは少し異なり、学者というよりはハワイ王室に仕えた大物官僚
とでも言うべき人ですが、「Fragments of Hawaiian History」という有名な著作があります。これもまた、
1860年代にKuokoaに連載されたシリーズですが、1959年にMary
Kawena Pukuiによって英訳されました。カメハメハ王朝とともに生きた彼ならでは、の同時代者の視点の日記として
読んでも興味深いものです。
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| John Papa Ii | Fragments of ・・・ |
■ Kepelino
Kepelinoはラハイナルナ・グループ出身ではなく、オアフのカソリック学校出身です。
(ちなみにラハイナルナはプロテスタント系)1830年生まれの彼は、ハワイのカフナの血を引いており、
幼少時からハワイの伝統的な儀式に慣れ親しんできました。彼もまたハワイの誇る学者の1人で、エマ女王の
秘書官として活躍しました。彼の残したハワイの伝統様式の記録は、1932年、Martha
Beckwithによって「Kepekino's Traditions of Hawaii」という英語ハワイ語対訳の作品として
まとめられました。









