ハワイの神話と伝説~ハワイ王朝~カメハメハ家の断絶

カメハメハの娘、摂政キナウにはロト、リホリホ、ヴィクトリアという3人の子供がいま した。一番年長なのはロト・カメハメハでしたが、アレクサンダー・リホリホはカメハメ ハ3世の養子になっていた関係で王位継承権が高く、ロトよりも先に21歳で、カメハメ ハ4世として即位します。カメハメハ4世は、クヒナヌイに妹のヴィクトリアを指名し、 兄のロトにはいくつもの要職を兼任してもらいました。

リホリホとロト兄弟は少年期にアメリカとヨーロッパを訪問した経験があり、2人とも、 イギリスでは国賓待遇を受けましたが、当時まだ奴隷制度が公認されていたアメリカでは まるで扱いが違い、フィラデルフィアでは黒人と間違えれて列車から下ろされそうにすら なったといいます。そのときの体験が2人には強烈だったようで、2人とも揃ってアメリ カ嫌いだったようです。

カメハメハ4世は、即位に先立って1854年にエマ・ルークと結婚していましたが、 1862年には負夫妻そろってイギリス国教会に入信したのです。そして、イオラニ・ス クールなど英国国教系のミッションスクールも設立、カメハメハ3世のとき、大きくアメ リカ寄りだったハワイは、極端にイギリス寄りになってしまいます。

ちなみに、エマ・ルーク、のちにクイーン・エマとして有名になる女性ですが、彼女はカ メハメハ大王の外戚筋で、ジョン・ヤングの孫にあたります。ジョン・ヤングはハワイで カメハメハ大王の重臣として仕え、ハワイ統一に大きく貢献したイギリス人です。エマ自 身も親英派だったのは、彼女の血の8分の1はイギリス人だったということもあります。

彼女が4世と協力して1859年に完成させたクイーンズホスピタルは非常に有名です。 1967年には、「Queen's Medical center」に改称して現在も存続しており、いまで は3000人の職員と1200人のドクターが働く一大医療施設になっています。

彼女はハワイの人々からの人気も高く、1874年のルナリロ王死去の際には次期国王選 挙をカラカウアと争うことになります。

4世にはアルバート王子という息子がいましたが、1862年、わずか4歳のときに事故 で夭逝してしまいました。4世は、その原因が自分の不注意であったという精神的打撃か らなかなか立ち直ることができず、1863年、29歳の若さで没してしまったのです。

同日、兄のロトがカメハメハ5世として即位しました。1864年には王権強化した新憲 法を公布すると共に、4世と同じく親英路線を明確に打ち出しました。当時、ハワイには アメリカ系ハオレ、それに批判的なイギリス系ハオレ、王党派の微妙な対立関係があり、 アメリカ系は徐々に危機感を抱くようになります。

1872年、42歳でロトも他界してしまいます。ロトは独身で、かつ、王位継承者を指 名できずに亡くなってしまったため、次の王位決定は議会にゆだねられることになります。

族長系統の最高位にあったルナリロ王子とカラカウアが争った末、ルナリロが選出されま した。1873年にルナリロは王位継承し、5世の1864年憲法を擁護する宣言をしま すが、閣僚にはアメリカ人を据え、親米路線を打ち出したのです。

1874年、64年憲法を修正して男子普通選挙権を回復したりしますが、同年、在位わ ずか1年と25日で、結核で他界してしまいます。

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