歴史を語るとき、「有史以前」という言い方をすることがあります。
「有史」というのは、「歴史がある」という意味ではなく、歴史が、「文字として」記録されている、ということを言うようです。

ハワイでは他の多くの太平洋の国々と同じく、古来、文字による文化を持ちませんでした。重要な伝承は、「口承(メレ)」「舞踊(フラ)」というかたちで残されてきたのです。従って、ハワイの歴史書を見ると、たいていは「1778年、クックによるサンドイッチ諸島発見」がいわゆる「歴史」のスタートになっているようです。

ただ、19世紀になってやってきた熱心なキリスト教宣教師によってハワイにもアルファベットが伝えられ、それまでの口承が結構、文字として記録されるようになったために、他の太平洋諸国と比べると格段に「古代の」資料が豊富なのもハワイの特色です。また、植民地政策を掲げる大国の狭間にあって、いち早く王国として独立し、それを100年の間、まがりなりにも維持できたのは、ハワイ国民の文盲率が極めて低かった、という文化水準の高さと関係しているのかもしれません。

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また、以下に簡単なハワイ史の年表を示しますので、参考にして下さい。




A.D.3c-5c  マルケサス諸島方面より、ポリネシア人渡来
A.D.10c-13c ソシエテ諸島(タヒチ)方面より、ポリネシア人大量渡来
         ハワイ諸島、ほぼ各島毎に豪族が群雄割拠
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1778  イギリスよりクック来航。サンドイッチ諸島と命名
1779  クック船長、ハワイ島ケアラケクア湾で殺害さる






1795  カメハメハ1世(大王)ハワイ王国樹立を宣言
1810  カウアイ島恭順、ハワイ諸島統一完了
1817  カメハメハ大王没 リホリホ王即位(カメハメハ2世)
1820  宣教師団上陸
1824  リホリホ、ロンドンで麻疹により客死
      弟カウケアオウリ即位(カメハメハ3世)
      実権はカメハメハの妃の1人であったカアフマヌ摂政に
1825  カアフマヌ、ペレ否定、宣教師たちの時代へ
      1831までに5万人の先住民が告発された(全人口の2/5)
      さとうきびプランテーション、文化破壊進行、伝染病蔓延
1854  カメハメハ1世の孫、アレキサンダーリホリホが4世に
1863  弟ロッドカメハメハが5世に
1866  マーク・トウェイン来布。「Letter from Hawaii」執筆
1868  ハワイ人の人口激減対策で日本より無許可移民「元年者」渡布
1872  カメハメハ王家の血筋断絶
1873  ルナリロ王即位(議会で選出)
1874  デビッドカラカウア王即位
1881  カラカウア王世界周遊。日本にも立寄。移民要請、婚姻要請
1885  日本より官約移民開始
1893  リリウオカラニ女王幽閉、ハワイ暫定政府成立


1894  ハワイ共和国成立(ドール大統領)
      観光保養地としての再開発開始(法律61号成立)
1898  アメリカ合衆国、ハワイ併合






1901  モアナホテル完成
      アラワイ運河を掘削した土砂でワイキキを埋め立て
1903  ハワイ宣伝委員会(のちのツーリストビューロー)設立
1925  マティソン汽船(マロロ号)就航
      ロイヤルハワイアンホテル(ピンクパレス)完成
      ハワイ観光地化本格化
1935  ハワイコール(ラジオ)開始。影響大
      軍事基地ハワイとしての軍需景気
1941  日本、真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発
1943  日系2世中心とした第442連隊、第100歩兵大隊結成、ヨーロッパ
      戦線にて死闘、猛躍。日系ハワイ人の評価急速に向上
1945  太平洋戦争終結。
      軍需景気の後退と共に、さらなる観光化、大衆化



1959  ジェット機就航。
1959  立州化。ハワイアンブーム
      ハワイアン・アイ(探偵物のTV番組)人気:1959〜1963
1970  ジャンボ機就航
1970-  ハワイアン・ルネッサンスの動きはじまる
1976  ホクレア号第1回タヒチ航海
1980-  日本人観光客急増
1993  ハワイ王朝転覆100周年記念式典

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