
ヘイアウの起源については、ポリネシア全般でよく見られる「マラエ」という、石積みの祭祀場が伝来したものと
考えられています。初期のヘイアウは、規模も小さく、儀式も素朴なものであったようです。
それが12世紀頃、サモアからパアオ、という名の高名な僧侶がハワイに渡ってきた頃から状況が変わります。
パアオは、権力者であった兄ロノペレとの争いののち、サモアを追われ、王族を含む40人の人々と海を渡ってきたとされています。
当時のサモアでは、人身御供を含む、厳格な宗教儀式が当たり前のように行われていたようです。
この頃から、ハワイのヘイアウでの儀式はより複雑・厳格なものになり、特に、戦いの神クーを祀る
ヘイアウにおいては、人身御供の習慣がはじまりました。この、人身御供形式のヘイアウを
「ルアキニ・ヘイアウ」と言います。カメハメハ大王のプウコホラ・ヘイアウもその典型的なもので、
通常は、生け贄とされるのは身分の低い人達でしたが、ハワイ統一という壮大な祈りを成就させるために、
当時カウ地方の大酋長であったケオウア自身を生け贄としたそうです。

完成したプウコホラ・ヘイアウ(想像図)
「Ancient Hawaii」より
ルアキニ・ヘイアウでは非常に厳格なカプ(タブー)が敷かれており、カメハメハ大王の没後1824年、
ハワイ王朝は古代の宗教を捨て、キリスト教への帰依を図って、全てのヘイアウを破壊しましたが、
人々の間には、今でもヘイアウ跡へ無闇に立ち入ることをカプとする考え方が生きているようです。